SUSTAINABILITY

私たちイーオクトが考える「サスティナビリティ」とは、難しいことではなく、
誰もがただほんの少し、日々の暮らしを、消費行動を見直して、行動を変えること、進化すること。

COLUMN :第1回(2010.12.08)

第1回 ナチュラル・ステップと私

ナチュラル・ステップとの出会いは、1994年。

私は、1974年にスウェーデン人男性と結婚しストックホルムに移住しました。
ストックホルム大学で4年間勉強した後、ストックホルム市の基礎学校と高校で母国語教師を勤めました。

ところが、1990年代の大不況で、ストックホルム市は厳しい財政に陥り、15年間勤務したにも関わらず1994年に解雇されてしまったのです。

それで、市の支援もあり、会社を設立して、ストックホルムのガイドや通訳の仕事を始めました。また、JETRO(日本貿易振興機構)の委託で、
スウェーデンの再生可能なエネルギーの動きを新聞の記事のクリップを読んで報告書を書く仕事などもしていました。

ナチュラル・ステップとの出会いは、JETRO(日本貿易振興機構)の仕事で、新しい商品のトレンドを調査していた時です。環境に配慮した洗剤
が一夜でヒット商品になったことがありました。その企業を取材している時に営業担当者からナチュラル・ステップの考えはとても良いというコメントを聞きました。

また、日本の環境雑誌のために環境対策の進んでいる自治体の取材をすることがありました。すると、その自治体でもナチュラル・ステップの
話を環境課長がするのです。

環境に先進的な企業や自治体がナチュラル・ステップの考え方を導入していることを知り、ナチュラル・ステップの基礎講座を受講しました。講師は、創設者のカール・ヘンリク・ロベール博士でした。
彼の話は目からうろこでした。

 

エコシステムを守らない人間の社会に未来はない。

私は、1人娘が5歳の時(1984年)にスウェーデンの幼児の環境教育のプログラムの「森のムッレ教室」のボランティアリーダーを始めました。

リーダー養成講座でエコロジーを学んだ時も目からうろこでした。自然の循環は人間がいなくても成立すること。人間も自然の循環が永久に機
能することに依存していること。それにも関わらず、人間は、その基盤となるエコシステムを破壊していること。
エコシステムを守らなければ人間社会に未来がないことを理解したのです。

また、同じ頃、アフリカ象の絶滅が危惧され、友人といっしょに任意団体を設立し、募金をしてケニアのアフリカ象を守っている団体に寄付をする活動を始めました。しかし、アフリカにおける貧困と内戦が原因で密猟はなかなか止めることができませんでした。

日本に帰国する度に、経済成長のためにと美しい自然が無残に破壊されていっている姿を見て絶望的になっていました。

 



「森のムッレ教室で、子どもたちが、森の妖精のムッレから落ち葉について学んでいるところ。森のムッレは自然を大切にしようというメッセージを持ってくる。白い布は、自然のものが見えやすくするために使う。」

 

日本が変わること、世界を変えること。ナチュラル・ステップを日本へ

ナチュラル・ステップは、科学的に持続可能な社会の原則を定義しています。

それは、4つのシステム条件と言い、持続可能な社会を構築するためには、4つのシステム条件全てを満たさなければなりません。

私は、ナチュラル・ステップに出会うまで、ゴミ問題とかエネルギー問題とかに全く興味はありませんでした。自然保護だけを考えていたので
す。

ところが、ナチュラル・ステップのフレームワークを学ぶことによって自然保護問題も、環境問題も社会問題も全てつながっているこ
とを知ったのです。
自然保護をするためには、持続可能性をトータルに考え、トータルに対策をしていかなければならないことを理解
したのです。

そして、持続可能な社会という成功した最終的なゴールを描くことができ、そこまでの道が長く困難であっても、解決する方法があるというこ
とを知ることによって絶望から立ち上がることができたのです。

もう一つ感動したのは、自然保護、環境保全と経済は相反すると考えていたのですが、そうではなく、環境と経済はコインの裏表のよ
うに密着している
ことも理解できました。

また、バックキャステイングという成功した姿から現在を振り返り、戦略と対策を考えるという戦略立案方法も、とてもすばらしいツ
ールだと思いました。
そして、ナチュラル・ステップのフレームワークは世界のどの国にもっていっても役にたつと思い、何とかこの
考え方を日本に紹介したいと思いました。

なぜなら、日本は、世界第二の経済大国であるため、世界が持続可能に発展することに日本が変われば世界に大きな貢献ができると考えたから
です。

そのためには、ナチュラル・ステップの環境教育を日本の企業や自治体に普及し、日本に模範事例を作っていくことが必須だと思いました。



 

1999年ナチュラル・ステップ・ジャパン誕生

1997年から日本にナチュラル・ステップを広めたいと思う有志の人たちが集まり、7人で設立準備委員会を設立しました。

そして、1999年にナチュラル・ステップ・ジャパンがNPO法人になりました。

私は、日本で本格的にナチュラル・ステップの講演や講座などができるように、東京にアパートを借り日本での生活を始めました。25年ぶりの
日本での生活だったので、日常生活にも戸惑い、文化ショックを受けながらの生活でした。

ナチュラル・ステップを日本に浸透させる活動で、私の一番の大きな計算違いは、日本では、企業におけるナチュラル・ステップの環境教育の
需要がなかったことです。

スウェーデンでは、先進的な企業が全社員の環境教育としてナチュラル・ステップの環境教育を導入していました。

代表的な企業としては、IKEAや北欧最大のホテルチェーンのスカンジックホテル、マクドナルドなどがあります。
彼らは、社員が「WHY?=なぜ環境対策が必要なのか」を理解し、ビジョンや戦略・アクションプランをいっしょに考え共有をするため
にナチュラル・ステップの教育ツールを使った
のです。
それは、新しいゲームをする時、チームのメンバーがルールを共有するようなものと考えていました。

 

「WHY」から「HOW」へ・・・日本社会への浸透を実感

私は、同じことが日本でも起きると思っていました。日本では、ちょうどISO14001の導入も必要だという時期でしたから環境教育を始めるには
絶好で追い風だと思いました。

しかし、日本では、「WHY?」ということは問わなくても良かったのです。ISO14001を取得していることが入札で求められるからという理由で
十分だったのです。

ISO14001取得のための環境教育では、現在、グローバルな環境問題としてどのような問題があるのかを学んでいれば良かったのです。

 

ナチュラル・ステップの環境教育は、問題の根源を理解して、長期的なビジョンと戦略とアクションプランを作るためのツールなので、事業の基軸に環境を取り入れる決意した企業でないと導入するモチベーションがないということが分かったのです。

それと、「WHY?」より「HOW」つまり、今すぐに何をすれば良いのかを知りたい日本の企業のニーズに応えられなかったことは、反省すべき点
でした。

それゆえ、2001年にパナソニックから、ナチュラル・ステップに環境報告書に第三者意見を書いてほしいという依頼が来て、やっと日本でナチュラル・ステップのツールが役に立つ分野が見つかったと本当にうれしく思いました。

その後、さまざまな企業の第三者意見を書いてきましたが、6年以上パートナーシップが継続しているパナソニック、積水ハウス、モスフードの3社は、それぞれの業界において環境のリーデイングカンパニーであり日本が世界に誇れる模範事例になっていると思います。

その後、ナチュラル・ステップの考え方は、日本の多くの環境のオピニオンリーダーの賛同を得ることができました。今や、バックキャステイングという言葉は、環境省の環境基本計画や白書にも掲載され、じわじわと日本社会の環境分野に浸透して行っておりうれしく思っています。

スウェーデンでは、もう「WHY?」を問う企業はありません。皆、どうすれば良いのか「HOW」の段階です。

いろいろな試みが行われていますので、次回からは、スウェーデンの模範事例を紹介していきます。

 

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