SUSTAINABILITY

私たちイーオクトが考える「サスティナビリティ」とは、難しいことではなく、
誰もがただほんの少し、日々の暮らしを、消費行動を見直して、行動を変えること、進化すること。

INTERVIEW :第5回(2011.07.10)

第5回 Sustain in Time Associate 高見 幸子(前編)

高見幸子さんがスウェ-デンでの暮らしを始めたのは1974年のこと。1950年代~70年代にかけてスウェーデンは「黄金の30年」と呼ばれる時期を享受、その後80年代の苦しい時期を経て、この国は見事な復活を遂げた。復活の大きな原動力となったのは、グリーン経済へのシフト、環境にかかわる分野に資金を投入、新たな雇用を創出する政策だったという。

 

高見さんが移住されてから今日に至るまで、主にスウェーデンの経済状況を中心に振り返っていただけませんか

私が70年代に移住したとき、スウェーデンは高度成長が終焉にさしかかる頃でした。今は1クローナが11円程度ですが、当時は72円と強かった時代です。スウェーデンは戦争をしていなかったので、経済復興も他の国と比べて早かったのです。

その後日本や韓国が追い上げてきて、例えば造船業などでは海外に太刀打ちできなくなり、クローナも切り下げられるのですが、80年代のスウェーデンはバブルを迎えていたのです。当時は経済的に裕福で、福祉などは本当に至れり尽くせりでしたが、そうした時代に私は政府の民生対策部門に入りました。

当時、移民の子供たちに対して、両親が求めれば親の母国語を教えなければいけないという義務がありましたので、私は商社や大使館などで働く在留邦人の子弟にマンツーマンで日本語を教える仕事を15年間していました。どんどん日本から教材を買い付けたりしていました。が、一方で、これでいいのかな?と思ったりもしていました。

ところが90年代に入ってバブルが崩壊。恵まれていた福祉政策をダイエットする作業が始まり、私も解雇されてしまいました。日本で公務員が解雇されるといっても信じられませんが、「お金に余裕がなければ雇わない」というルールがスウェーデンでははっきりしていました。その頃に私は、海外からの視察をコーディネートしたり通訳ガイドをしたりというビジネスを立ち上げたので、新しいステップに進むことができました。

その90年代を境に、スウェーデンは変わったと思います。今までのように税金は高いが福祉も高水準で、市場経済を無視したような至れり尽くせりの福祉から、福祉を民間委託して効率化の方向に進んでいきました。ですから、今のスウェーデンの福祉はヨーロッパ1位ではありません。もう元に戻ることはないと思います。人々の経済観念が強くなって奇跡的に回復したと言われていますが、政治家が非常に賢明だったと言えます。政府が不良債権を買い上げて経営に介入し、どんどん銀行なども再建させました。
こうして見てみると、スウェーデンは福祉国家からグローバリズムにシフトするような柔軟性を持っているのに、税金を多く集めて分配するというコアの部分は変えていません。雇用はしっかり守るし、年金についても私は心配していません。

 

スウェーデンは90年代に入り、負の遺産を清算して経済成長のプロセスに入ったということになるかと思いますが、
「環境と経済の両立」という視点ではどんな変化があったのですか。

90年代は失業率8%、若い人は20%前後にまで達していました。そうした状況を変えるための切り口が、環境分野の雇用を増やす「グリーン雇用」でした。当時「アジェンダ21」(※1)という施策が行われ、各自治体がグリーン雇用のためのアクションプランを立案することを求められました。その動きの中に若年雇用が盛り込まれたのです。

※1: 1992年にリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議で採択された文書のひとつで、21世紀に向けて持続可能な開発を実現するための具体的な行動計画

とりわけ重要だったのが環境ビジネスと教育で、需要のない産業から新しい環境産業にシフトするための勉強、訓練に力を入れ、EUとの協力を見据えたグローバルな視点を養うことも重視していました。

環境産業にシフトする流れの中で色々な仕組みができました。その代表的なものが、91年の炭素税導入です。その際、炭素税だけを単独で採用するのではなく、同じ年に大規模な税制改革が行われ、所得税を最大で50%に引き下げとセットでした。働いても全部税金に持っていかれて勤労意欲が失われるという状況を変え、働きがいがある仕組みに改革すると同時に炭素税を導入する、というタックス・シフトを行ったのです。こうして、90年代は「グリーンな福祉国家」の実現を目指して舵を切りました。

 

失業に代表される経済の停滞、社会問題をグリーン経済へのシフトによって解決しようとしたのですね。

 

まさにその通りで、炭素税の導入によってエネルギーシフトを実現したことが一番大きな変化だったと思いますね。

スウェーデンも日本と同じで、石油を産出しないので海外から輸入していました。しかし日本と違って「脱・化石燃料」ということを当時から意識していましたから、炭素税の導入によって、例えば地域暖房で使用するボイラーの燃料を、石油から森林伐採で発生した木質バイオマスのチップに切り替えることが出来た。そうすると、地域に雇用が生まれます。現在、暖房に使う石油の比率は9-10%まで減っており、2020年の目標としては石油を暖房に使わないというところまで来ています。

エネルギーシフトによって、材木だけだった林業の収入源に燃料が加わりました。畜産では、今まで捨てていた家畜の糞尿をバイオガスとしてエネルギー源にできる。エネルギーの地産地消が実現するのです。環境と経済を結び付けたのは、本当に賢明な政策だったと思います。

政府が実施したアンケートでも、炭素税について83%の企業が賛成という結果が出ています。炭素税が経済のシフトにいかに有効かということを、企業も良く理解しているのです。
炭素税によるシフトといえば、もう一つ注目すべきなのが自動車の燃料です。エタノールとバイオガスには炭素税と消費税が課税されないので、ディーゼルやガソリンと競争できます。ただ車両価格が高いとみんな買わないので、エコカーに対して補助金を付けたりしています。

また、ストックホルム市内では渋滞税を導入して、エコカーに対してはそれを払わなくて良いとか、駐車料金が無料になるなどの優遇策を行った結果、新車販売台数に占めるエコカーの比率が、数年の間で5%から40%に急上昇しました。

政府は2030年までに新車の100%をエコカーにするという目標を掲げています。
サーブ(SAAB)が発売した、バイオエタノールでスピードが出るかっこいいエコカーも、炭素税導入前はさっぱり売れなかったのですが、導入後には一番売れるようになりました。日本では炭素税を全てネガティブに捉えていますけれども、スウェーデンでは脱石油社会にシフトしなければならないことをみんなが知っています。早くシフトできればできるほどグローバル経済の中で優位に立てることも理解しています。ですから、炭素税の導入にも積極的に賛成しているのです。

しかしその場合、政権が変わるごとに政治家が交代すると困るので、スウェーデンの経済界は与党と野党の双方に「われわれは長期的な視点でエコシフトに合致した投資をしたいので、ルールについてお互いによく話し合って決める」という事を働きかけています。

高見 幸子さん(国際NGOナチュラル・ステップ・ジャパン 代表)

高見 幸子さん(国際NGOナチュラル・ステップ・ジャパン 代表)

1974年よりスウェーデン在住。
15年間、ストックホルムの基礎学校と高校で日本語教師を務める。
1984年より野外生活推進協会の「森のムッレ教室」5~6才児対象の自然教育リーダーとして活動。
現在、同協会の理事、幼児の環境教育を推進する森のムッレ財団理事。
1995年より、スウェーデンへの環境視察のコーデイネートや執筆活動等を通じ、スウェーデンの環境保護などを日本に紹介している。
1999年から、企業、行政向けの環境教育を実施するスウェーデン発の環境保護団体ナチュラル・ステップの日本事務所の設立に関わり、2000年より、国際NGOナチュラル・ステップ・ジャパン(当時)の代表を務める。その後、企業・自治体の環境教育のファシリテーターとして活動中。

 

国際NGO ナチュラル・ステップ・ジャパン

ナチュラル・ステップは、スウェーデンの小児癌の専門医であった カール・ヘンリク=ロベール博士の提唱によって1989年に発足し、 カール16世グスタフ国王の後援のもとに財団法人によって運営され、 世界的な広がりを見せている政治的・宗教的に中立な環境教育団体です。
ナチュラル・ステップは、環境保護と経済的発展の双方を維持することが 可能な社会を目指しており、企業・自治体・学界・政府そして個人が そういった社会を目指して行動するための羅針盤を 科学的根拠に基づいて提供しています。

〒669-4317 兵庫県丹波市市島町上牧691
TEL : 0795-86-7778
http://www.tnsij.org/

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